「はじめて考えるときのように」を読みました。
こちら、最近良く聞いているpodcast、超相対性理論の「考えることを考える」の回で引用され、興味を持ったので読んでみました。
www.tsumibon.tamari-b.com
やさしく話しかけられているような、なんとも柔らかい文体で心地よく読める書籍でした。内容は、「考える」ことについて考えを深められる良い本でした。本書にも触れつつ読みながら感じたことをまとめていきます。
目次
1.「考える」って何をすることだろう
2.問いのかたち
3.論理的に考えるだって?
4.ことばがなければ考えられない
5.見えない枠
6.自分の頭で考える?
「考える」について対話している感覚
本書は「考える」ことについて書かれていて、考えるとは何かを知ることができる本です。しかし、この本の魅力は結論を知ることだけじゃなくて、本書を読みながら著者と一緒に「考える」を考えていくことでした。まるで著者と対話してるような感覚でした。
たとえば、
子どもから「考えるって、どうすること?」と聞かれたとき、きみならどう答える?
と問いかけられます。
そこで考えますよね。「わからないで終わらず調べることだよ。」とか「もしかしたら、こうかもしれない。を決めて試してみることだよ。」などです。他にはどうでしょうか?何か思いつきました?
そのあと、色々話が広がって
「考える」って何をすることなのか考えるために、何かを考える問題を出してみようか。
と新しい問いかけが始まります。
一緒に「考えるを考える」対話が続いていくのです。答えを教えてもらってそれに従うだけでは考えることに繋がりません。本書を読み進めながら一緒に考えるから「考える」について解像度が高くなるのでしょう。
(ブログをまとめながら気づいたのですが、一人称は「ぼく」、二人称は「きみ」が使われています。これも対話感を感じる要素だと気づきました。)
問いを携える
あー、そうかー、と考えが広がったのは「問いを携える」という感覚です。「問いを携える」は超相対性理論で登場した言葉ですが、本書でも言葉こそは違えど同じようなことが書かれていました。本書で書かれていたことを簡単にまとめると『「ずっと考える」とは24時間そのことを考えているわけではなくて、何を見ても対象と関係づけてしまうことだよ』っということです。
例えば、新しいプリンを作ろう考えているとき、朝食にリンゴが出てきました。「リンゴとプリン」で新メニューができるかもしれないとひらめくことです。これは、「新しいプリンを作ろう」という問いを携えていなければ出てきません。
「問いを携える」に関して2つ思ったことがあります。
1つ目は「問い」持って日常生活することで新しい発見が増えそうだということです。
実体験としてはカメラです。カメラを持って散歩すると見えてくるものが変わります。道端に咲いている花、傷んでいる花、まだつぼみの花、街のリズム感、人の表情などなど。「問い」も同じように携えると見えてくるものが変わりそうな感覚があります。
2つ目はインプットしない時間を作るということです。
本を読んだり、podcastを聞いたり、ゲームをしたり、何かしらの情報をインプットする時間が増えています。特にpodcastの登場で家事のときもインプットが出来るようになりました。ただ、常に何かを詰め込んでいると考えと経験を紐づける機会が減っているよう思います。余白が必要です。意図的にインプットしない時間を作って、自分の中の問いのアンテナの感度を高めましょう。そこで、やっと問いと経験を紐づけやすくなりそうです。
問いを見つける
問いを携えるなら、その問いをみつけなきゃですね。
否定というのは可能性と現実のギャップに生じる。だから、現実ベッタリで可能性の世界を持たない者には否定ということもない。
「As is / To be」というフレームワークがあります。理想と現状の差分から課題を見つけて行動を決めるフレームワークです。課題はそのまま問いに置き換えることもできます。
本書の中でおもしろい例えがありました。部屋に窓とテーブルだけがある絵を見せられて
「この絵は何の絵だか、わかりますか?」と問われます。そのあと「この部屋にはパンダがいないという絵です」と続きます。
なるほど。あるものだけで思考すると問いが浮かびません。ないもの(理想)があるからこそ問いが浮かぶのです。では、理想を持つことが「考える」には重要そうです。
理想はどうやって持つのか。1つは知識を増やすことでしょう。本書には次のようなことが書かれていました。型を知っていればその型との差がわかり問いが見つかる。また、その問いが生まれた背景も大切。
知識がないと「ない」は見つけられないんですね。知識を身につけることは大切です。知識は書籍など体系だった情報から学ぶ以外にも経験を通して学ぶこともあるでしょう。
そして、経験からの学びを高めるには「問い」を携えると良さそうです。問いを携えるとモノゴトを見るときのアンテナが高まります。
でも、そもそも「問い」を見つけるために学ぼうとしてなかったっけ?
ということで、「問い」と「学び」は一方通行ではなく、相互作用なんでしょうね。お互いを高める効果がある。
まとめ
- 「はじめて考えるときのように」は考えるを著者と対話しながら一緒に考える本
- 「問い」と「学び」の相互作用で考えが更新されていく
本書は結論を知ること以上に、読み進めながら自分の中の「考える」を更新していくとおもしろいと思います。また、言葉と考えるの関係性や論理的は考えているのか?という部分も面白かったです。