今回の本
TAKRAM RADIO の『取るに足らないことばの保存〜問いによって始まる対話』の回で紹介されていて気になったので購入してみた。
Vol.255 取るに足らないことばの保存〜問いによって始まる対話 - TAKRAM RADIO | Podcast on Spotify
対話する哲学者・永井玲衣さんのエッセイ集だ。世の中は保存されないことの方が多い。私が今こうやって記事を書いているときのタイピング音は保存されない。今座っている位置から見える壁の染みだったり、子どもの机の上に置かれているコダックの置物があることは保存されない。そのように、伏線があるわけでもなく、ドラマティックなことでもない、本来なら忘れ去られてしまいそうなことを中心に語られるエッセイだ。
そういったことについて気づける本だと思う。
ほとんどのことは忘れ去られる
本書の「よくわからない話」から引用する。
わたしたちの世界には、回収されない伏線が無数にある。映画や書物の中で、わりばしでアイスコーヒーをかきまぜたら、意味をもってしまう。重大な事件を解決する鍵になってしまう。だからわたしたちはそれを省く。意味のないそれは、ただのノイズになるからだ。 忘れ去られてしまうものにこそ、価値があると言いたいわけではない。ひとびとが見落としているものを、きちんと拾い上げて、大切にしようと、そこにこそ現代人がないがしろにしている価値があると主張したいわけではない。それがただあるということがある。それだけのことだ。 それを保存するということもまた、何の意味もないことなのだろう。出会ってしまったからには、保存せざるを得ないという、応答としての保存。
日々のことをこんな風に考えたことはなかった。私は写真が好きだからよく撮る。そのため、人よりも記録されている日常があると思う。でも、それも結局は本当の一部だし、日々のハイライトに近い。私が意味を感じられない部分は残っていない。ケータイの契約のために無理やり連れてこられ、ブスッとしながら静かに待つ息子を撮ることはなかった。でも、それは存在していた。
打ち合わせの議事録を取る時、話した言葉は取るが、それ以外は取らない。意見に賛成しながらも不満そうな表情や、良いとも悪いとも発言しなかった空白。内容が承認された嬉しそうに弾む声、笑顔。それは議事録には残らない。ただ、拾い上げる必要はあると思う。見つける必要性はあると思う。
すべてを保存すると、見返すとき同じ時間がかかってしまう。だから、何かを省く必要はある。省かれることがあったことは気づいておきたいと思った。
多様性を大切にする
問いのもとに集まり、ひとびとと対話を重ねて考える哲学対話では、場をはじめる前に参加者にお願いをすることが多い。「人それぞれで終わらせない」
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哲学対話は、単なる「分かち合い」ではなく、ひとつの探究である。だからこそ、なぜそう思うのか、何によってその言葉は支えられているのか、めちゃくちゃであっても、わからなくても、探すことをあきらめない。
多様性を大切にするとは非常に難しいと思う。一つ間違えると無関心になりかねない。
「あなたはそう思う。私はこう思う。みんな違ってみんな良い。」
こうなってはいけないと思う。引用した部分にも書かれているが、探求が必要だ。「みんな違ってみんな良い。」の前にもっと色々話すべきだ。「あなたはなぜそう思ったのか?」「昔からそう考えていたのか?」「こっちのことも考えてみたのか?」こういう、本質を突き止めようとする会話があるべきだ。
ただ、こういう会話が好きな人と苦手な人がいると感じる。攻められるように感じたり、そもそも、深く考えるのが好きじゃない人もいる。それこそ、人それぞれだとは思うが、意見の違いに全くの無関心だと多様性を大切にしているといえないのではないかと思う。相手に興味関心を持って、そのうえで違いを認め合いたいと思う。
さいごに
私は色々と忘れっぽいのにあまりメモを取らないから、忘れていくことが多い。日記を続けたいと思った。自分にとって大切だと思ったこと、気になったこと、取るに足りないことを残していきたい。アジカンのボーカル後藤正文さんは「ドサクサ日記」というブログを公開されている。大切なことからちょっとしたことまで残されていて、おもしろく拝見している。こういう日記が書きたい。
Masafumi Gotoh|note
