今回の本
今回の本は哲学対話のファシリテートをされている永井玲衣さんの哲学エッセイ。美容院に行って「(ヘアスタイルは)どうしたいんですか?」という質問から、人生をどうしたいのか問われている気がしてドキドキした話や、「生きる意味」をテーマに小学校で行った哲学対話の話など、多種多様なエッセイが書かれている。哲学と聞くと難しく聞こえるけど、軽快かつ美しい言葉で書かれているのでサクサク読める。また、特定のテーマを深堀するのではなく、哲学対話の経験や日常にあふれる問いについて書かれており、哲学がより身近で面白く感じられる一冊だ。
哲学対話とは日常の中で感じる素朴な疑問や「当たり前」と思っていることについて、答えを出すことを目的とせず、対話を通じてじっくりと深く考えていく場だ。テーマは「はたらくとは何か?」「おとなとこどもの違いは?」「ひとは何のために生きているのか?」などなど。
結局人それぞれにしない
わたしがよく用いるルールは「よくきく」「自分の言葉で話す」「<結局ひとそれぞれ>にしない」である。状況や場合によって「理由を挙げて話す」「変わることをおそれない」「ゆっくり考える」などが付け加わることもある。
p35
仕事においても、意見が割れるときがある。そのとき、「あの人(あのチーム)はいつもあーだから」のような決めつけをしてしまうと意見は割れたままだ。どちらかが折れるしかない。こういう時、もう一歩踏み込んで相手を理解しようとできるかどうかが重要だと思っている。言い負かそうとするのではなく、純粋な疑問として「なんでそう思ったのか?」と問いかる。すると共通点と相違点と相違点の理由が見つかることが多い。そのうえで、結論を出すと納得しながら進められる。
「よくきく」「自分の言葉で話す」「<結局ひとそれぞれ>にしない」は対話で重要だと思うが、議論する際にも重要なルールだと思う。
わかりあえないけど、わかりあいたい
他者とわかりあうことはできません、他者に何かを伝えきることはできません、という感覚は、広く共有されているように思う。わかりあうことができないからこそ面白い、とか、 他者は異質だからこそ創造的なものが生まれる、とかいう言説もあふれている。その通りだ。 その通り。全くもって、完璧に、同意する。だがわたしはあえて言いたい。それでもなお、わたしはなお、あなたとは完全にわかりあえないということに絶望する。
p30
「わかりあえない」を認めよう / 他者と働く-「わかりあえなさ」から始める組織論を読んだ - はんなりと、ゆるやかに
わかりあえないをテーマに深く学んだのはこの本だ。とても参考になったし、色んな人にも紹介している。共通していることは<ひとそれぞれ>の部分を理解しようということ。そこは、共通しつつも著者はわかりあえないことに絶望している点に違いがある。わかりあいたいし、わかりあえると信じているのだ。
この部分が良いと思ったのは、多くの人が無理だと言っていることについて、できると信じる思いの強さだ。多様性が浸透している世界では、こういう信念のようなものを持つことは大切だと思う。
答えと正解
たしかに、子どもたちは意外と「とんでもないこと」は言わない。どこかで聞いたことのある優等生的な答え、親から受け継いだであろう思想、社会に流通している常識を口にする。 問いに対して「答え」ではなく「正解」を言おうとするからだ。
p46
集団において最終結論と違っていても答え(=自分の意見)を言うことは大切だと思う。その答えに触発されて別の人の答えがあり、また触発されて別の人の答えがあり、繰り返すことで結論が出る。それであれば、結論と自分の答えが違っていても、場には貢献できたと考えている。
正解を言おうとすると発言しにくくなるが、答えを言うことが場に貢献できると思えると、意見が言えるようになると思う。
さいごに
『水中の哲学者たち』は、日常にある「問い」と向き合い、考えることの楽しさが感じられるエッセイで、哲学が身近に感じられるようになる一冊だ。
