今回の本
『すごい短歌部』は文芸誌「群像」の連載「群像短歌部」の第1回から第12回が収録された書籍だ。お題に沿って投稿された短歌から、木下龍也さんが選び選評されたものが掲載されている。あわせて、同じお題について木下龍也さんの短歌とその過程を言語化され掲載されている。
プロの方がどうやって短歌を作っているのか知れる貴重な一冊だ。
本書を読んで感じたことをまとめていく。
余白をつけて保存する
良いなぁと思う短歌は、その情景が浮かぶ。同じ場面をみたことないはずなのに。
木下龍也さんが短歌をつくる過程を追っていると、具体的な出会いがある。たとえば、「水たまりから水が干上がったくぼみに張り付いた桜」を見て感じたことを57577に収まる字数で表現する。状況だけでなく気持ちも一緒に少ない文字数で表現するので、直接的な表現ではなく抽象的だったり、比喩だったりする。
だから、読み手は想像する。だから、読み手は自分の経験と紐づけられ情景が浮かぶんだと思う。表現に余白があるからこそ、読み手が入り込む余地がある。
なんども書きなおす
短歌が書かれた過程を見ると、一回作って終わることはない。省略できる部分はないか?ただの思い付きではないか?ありきたり過ぎないか? 色んな観点で見直して書きなおしている。
大切なことは、まず書くことだと思った。頭だけで考えてはグルグル回るため前に進みにくい。まず、書く。書けばそれを読むことができる。ボツを恐れず、むしろボツを狙って書く。
これは、短歌に関わらず大切だと思う。書く。書く。書く。そうしてやっと分かることもある。
気づきの共有
生活していると素敵な瞬間がたくさんあるが、多くのことは気づかないでいると思う。
そんなときに役立つのが短歌だ!と思う。短歌をつくろうとしていると、日常から面白いことや自分の感情の動きに敏感になり、記録する習慣がつくのだと思う。たぶん。
曖昧な理由は、私が短歌をつくったことないからだ。代わりに写真を撮る。カメラを持って歩いているときと、そうでないときとでは物の見方が変わっている。何か被写体は無いかを常に探しているのだ。
本書を読みながら、お題に沿った短歌を考えている皆さんは、私にとってのカメラを持っているときと同じように、面白いことがないかを探しているのだと思う。
結局のところ、気づけるかどうかって運が良いというより、人一番気づく努力をしているのだと思う。
さいごに
短歌がお好きな方はもちろん、自分の考えや気持ちを表現したいと思う人も感じる部分はあると思う。
